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「日本の女性・ママに勇気を」ミセスコンテスト世界大会優勝と、そこにかける思い

国内外で活躍する慶應義塾大学OG・OB(三田会)のキャリアストーリーや視点をインタビュー形式で紹介し、現役生に向けて発信する取材企画 ”focus.”

#02:斎藤英里さん

1999年、慶應義塾大学環境情報学部卒。

全日本空輸(ANA)特定地上職、日本興業銀行ニューヨーク支店審査部、Lux Bond & Greenにて勤務後、結婚しスペイン・日本・マレーシアで3人の子供を出産し子育てを経験。

30代後半でモデルとしてデビューし、ファッション・化粧品等の雑誌及びTV・CMモデルを務める。2018年にはMrs. Transcontinental(アメリカ)世界大会で優勝。現在ではGreen Alge Tech Japan(株)のナンノクロロプシス アンバサダーを務める。帰国子女でアメリカのコネチカット州で育ち、現在はカンボジアに住む。

「自分の好きなことをやろう」アメリカ同時多発テロ事件で感じたこと

━━ANA、日本興業銀行、宝石店…今までのキャリアの経緯を教えてください。

母がJAL勤務だったので、色々海外の話を聞いていていいなと思っていたのと、当時ANAが女性の働きたい会社No.1だったので最初空港職員に憧れていました。ANAに地上職の募集があったので、当時電話で筆記試験や面接の予約をして…私が卒業した時ってちょうど就職難でどこの会社受けるにも大変でしたが、筆記の英語が満点だったのもあってなんとか入社できました。

私は帰国子女だったんですけど、入社した当時のANAはコテコテの日本企業で、上司や研修、規則が厳しすぎてカルチャーショックを受けてしまいました。あと英語でのクレーム対応が全部私のところに回ってきたのが大変すぎて3ヶ月で辞めましたね(笑)

その経験があったので、その後全く接客をしなくていい仕事をしようと思って入ったのが当時日本興業銀行(第一勧業銀行・富士銀行と合併、後のみずほ銀行)の審査部でした。

そこから2001年に9.11(アメリカ同時多発テロ事件)があったんですけど、富士銀も第一もワールドトレードセンターの中に入ってて、事件時ちょうど激突されたワールドトレードセンターに引っ越す準備をしていたんです。タイミングが少しズレてたら私死んでたかもしれなかったので驚きましたよね。その時すごい貯金してたんですけど、もし死んでたらこの貯金意味なかったなと思って、その時に自分の好きなことをやろうと決意して会社を辞めて、ずっと興味があった宝石の鑑定士免許をニューヨークで取って宝石店で働いたりもしました。やっと夢が叶って宝石店で働いたら、今度は強盗に遭って…トラウマと戦うぐらいあまりにも恐ろしい経験でした。

カウンセリングも通って、ようやく回復したちょうどその時くらいに慶應ニューヨークの先輩にたまたま会う機会があって、それで結婚してスペインに行ったんです。そこで長男を出産して、そして旦那の仕事で日本に戻って今度長女を出産して、また今度旦那の仕事の都合でマレーシアに行って、次男を産んで…色んな国で出産を経験しましたね。

スペイン・マレーシア・日本での出産。子育てが一番大変だった国とは?

━━様々な国で出産や子育てを経験された斎藤さん。国によって福祉制度も違う中での子育ては大変でしたか?

最初の出産をしたスペインでは、ほとんどの人が英語を喋れなかったので大変でした。スペインは全員無痛分娩での出産なんですけど、詳細を何も言われないままお産付いて病院に行ったら、多分スペイン語で「もうすぐ楽になるから待ってなさい」とナースに言われて。何されるんだろうと思ったら脊髄に注射打たれて、フワッとした感覚になって…よく分からないまま初めての子が生まれたんですけど、その後先生と会う機会があまりなくて、いつまで病院にいれるか分からないまま過ごしていました。

マレーシアは、出産した後の1ヶ月間はセラピストがいて、同時に3人くらいが2時間マッサージしてくれるんです。その人達がマッサージしてる間にゲップをしていたので「なぜゲップをするの?」と聞いたら「あなたの体に溜まっているエアーを出してるんだ」って言われたんです。エアーっておそらく、体の中に溜まっている気を私の体を通じて出しているってことだったんですけど、色んな出産体験ができたことは面白かったですね。

日本でも子育ての経験があるんですけど、むしろ海外よりも日本での子育ての方が大変でしたね。

日本でお化粧して綺麗にして、幼稚園にお迎え行くと「あのママ自分にだけすごい時間かけちゃって…」みたいな陰口を言われたり、たまに実家に子供を預けて同期の人と飲みに行くと「なんでママが飲みに行くの?」と言う人ばかりでした。日本は自分までも犠牲にして、ボロボロになっても子育てをするのがママとしてのあるべき姿になっている気がして。名前で呼んでくれる人も誰一人いなくなって、自分にも自信なくなっていた時がありました。

「これは自分との戦い」そして掴んだ、ミセスコンテスト世界大会優勝

━━その後ミセスコンテストに出場し、世界大会で優勝した斎藤さん。そのきっかけは何でしたか?

その子育てで自信がなくなっていたタイミングで、たまたま「ミセスのコンテストに出てみないか?」というお誘いがあったんですよ。

はじめは通訳としてお手伝いの話だったんですけど、英語できるし、マレーシアにいた時に色々ボランティアもしてたのもあって「条件が揃ってるからあなたが出なさいよ」と言われて。その時はまだミスコンテストが日本で流行っていなくて、周りから「子持ちのママがなんでそんなの出るの?」といった批判を浴びたんですけど、やっぱり今まで海外で子育て頑張ってきたし、日本のママに、こういうことをできるんだよっていう見本を見せられたら、日本のママ達ももっと勇気を出して社会に出ていけると思って挑戦してみたんです。

でもどこから始めていいのか分からず、今までどんな人が優勝してきたのか調べたら、皆さんすごく綺麗で金髪で、スタイルが良い人ばかりで諦めそうになったんですけど、でもせっかく日本の女性やママを代表して出るんだったら最善を尽くしたいなと思って。その時、周りと自分を比べちゃいけないし、他の人と戦うのではなくて、これは自分との戦いだなと気付いて。昨日の自分と比べようと思って、自分だけを見つめ、いかに自分を磨くかというところに専念するようになりました。

コンテスト当日も、みんなバチバチで仲悪そうだったんですけど、私は人に戦われていないし、ここまで頑張ってきたから今日は楽しもうという気持ちで出ました。その結果か分かりませんが優勝できて嬉しかったし、アメリカのミセスコンテストで優勝したのはおそらく初めてだったので、日本人のミセスたちにも大きな勇気を与えられたのかなと。私も普通の主婦だったんで、日本人にもそして私にもできるかもっていう人たちがどんどん増えて、日本のミセス大会がどんどん大きくなっていったのは光栄ですね。

「日本の誇りとプライド」どこにいても日本人としての振る舞いを

━━海外で生活する上で大切にしているマインドセットはありますか?

9歳でアメリカにいた時、英語を全くしゃべれないのに親に現地の学校に入れられて。アジア人が一人もいない学校で、私一人だけだったので学校でかなり珍しがられて、隣のクラスの子も私を覗きに来ては、黒髪を触られて大変だったんですね。

その時、母親に「あなたの住んでる町には他にアジア人も日本人もいない、見る日本人はあなたしかいないのだから、日本人を代表とするような心の綺麗な人になりなさい。意地悪すると日本人は皆こうなんだと思われちゃうから、あなたは日本人としての行動をしなさい」って言われてたのがずっと私の頭にあって、それからどの人に接するにあたっても私は日本人としてあるべき行動をできるように気を付けています。

あとはどこの国でも、その違いや困難を面白がって楽しく楽観的にいることですかね。

━━日本人としての振る舞いに関して、日本人にどんなことを願いますか?

日本ってこんなに素晴らしい国なんだっていう誇りを持ってほしいですね。ODAが橋を建設した感謝を込めてカンボジア札には日本の旗が書いてありますし、他の国でも日本の旗をたくさん見かけますよね。アメリカや韓国のK-Popスターとかに憧れるのもいいんですけど、日本がこれだけ頑張ってるんだよっていう、誇りやプライドをもう少し持ってほしいなと思います。

マレーシアに住んでた時に東日本大震災があったんですけど、その際にはマレーシアの人がたくさん寄付してくださったんです。

子供が通ってた現地の幼稚園でお祭りがあったときに、校長先生が日本への寄付金を集めるブースを作ろうって言ってくれて、そのブースを担当したんですけど、当時マレーシアはも生活に困ってる人が今よりもっと沢山いたけど、そういう人達まで寄付してくれたんです。こんなに親日なのかと驚いたし、それで日本人として何か返したくて色々と個人でボランティアするようになったんですけど、国は違えど本当に助け合いだと感じます。

今まで世界各国で頑張って親日を築きあげてきた日本人みたいに、もっと世界に飛び立っていってほしいなと思います。

「いつだって輝ける」昨日の自分より、良い自分を目指して

━━現役生に向けて、何かメッセージやアドバイスはありますか?

私が好きな名言で “Kites rise highest against the wind, not with it” というイギリスの元首相ウィンストン・チャーチルの言葉があって。「凧が一番高く上がるのは、風に向かっている時である。 風に流されている時ではない」という意味で、批判とかの向かい風が強ければ強いほど凧は上がるってことなんですね。

周りを敵だと思わないで自分が戦う相手だと思って、昨日の自分より良い自分になるように努力した方が成長するんじゃないかなと思います。

あと、やっぱり社会人になったらどうしても時間が限られてしまうので、興味があるものはとことん追求して視野を広げ、多くのことを吸収してください。もし機会があれば、海外いろんな国にも行って文化や習慣を学んで世界を広げ、日本に誇りを持って世界に羽ばたいてほしいなと思います。

━━今後の展望や、やりたいことがあれば教えてください。

昨年の10月にカンボジアのプノンペンに引っ越してきたんですけど、カンボジアも、結婚したり母親になったらもう陰にいなさいといった風習がまだ強くて。私自身、女性として差別を受けることも結構あったんですね。だからいつかカンボジアでミセス大会を開催して、結婚してる女性だったり50代や60代でもまだ綺麗になれる、一番になれる、そして輝くチャンスがあるっていうのをカンボジアの女性たちにも広められたらなと思っています。