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空港という移動の場を超えて「出会いの創造」を、ANA事務職の仕事

国内外で活躍する慶應義塾大学OG・OB(三田会)のキャリアストーリーや視点をインタビュー形式で紹介し、現役生に向けて発信する取材企画 ”focus.”

#07:日下部稔さん

慶應義塾大学卒業。ANA入社後、主にマーケティング・営業部門を中心に従事。大阪支店での営業職等を経て、2006-2010年まで北京に赴任。帰国後は、経営企画や総務・人事関連業務に携わり、日本初のLCCであるPeach Aviationにて勤務後、2022年から2025年3月までANAクアラルンプール支店長。

中学時代の空港での思い出が原体験に。思い出を繋ぐ、空港という場所

━━ANA事務職に就職することになったきっかけは何ですか?

中学生の頃、父親の転勤でシンガポールに引っ越すことになったのですが、シンガポールへ旅立つ際、学校の友達や部活仲間が成田空港まで見送りに来てくれました。当時、海外転勤はあまり一般的ではなく、みんなが色紙等を携えて来てくれたことがとても記憶に残っていて。別れを惜しみつつ初めての海外となるシンガポールに向かいました。その後シンガポールでの3年間は、現地の人々との交流や歴史を学ぶ貴重な経験となりました。

日本に戻った後、高校を経て大学に進学しましたが、大学でもアジアを学ぶ機会が多かったですね。第2外国語は、将来中国が発展する可能性を感じていたため中国語を選びましたし、大学3年生の時にはシンガポールでの生活経験を踏まえ、アジアの近代史に関するゼミに所属しました。

就活ではいくつかの業界を考えましたが、やはりグローバルなビジネスに携われる業界が良いと思いました。その過程で、成田空港での旅立ちの思い出が蘇ったんです。空港は別れの場であると同時に出会いの場でもあり、新しい生活のスタート地点でもあります。人生の区切りを迎える場所である空港に関わる仕事は素晴らしいと思い、エアライン業界にチャレンジしました。こうした経緯からANAに入社することになり、現在に至っています。

━━最初は大阪支店にて営業を担当されたとのことですが、具体的にどのようなことを行っていましたか?

まず航空業界で、分かりやすい職種としてはパイロット、キャビンアテンダント、整備士などがありますが、これら以外の業務を行うのが事務職で、私はそれに当たります。

新卒としてANAに入社した最初の赴任地は大阪で、そこで営業を担当しました。当時はまだインターネットが普及していなかったため、お客様は旅行会社の店舗に足を運び、そこで紙のチケットを購入する形が一般的でした。各旅行会社は駅や街中の目立つ場所に店舗を構え、東京駅八重洲口前にはANAの直営カウンターもありました。また、観光といえばパッケージ旅行が主流で、旅行会社は北海道や沖縄などのツアー商品を企画し、店舗にパンフレットを並べてパッケージツアーを販売していました。

このように、お客様は出張や旅行のために旅行会社に行ってチケットやツアー商品を購入するという流通構造だったので、旅行会社との間で営業的なやり取りを行い、ANAの販売促進を行うことが私の主な業務でした。加えて、法人のお客様を訪問し、出張の際に自社を優先的に利用していただくよう企業契約を結ぶ業務も担当していました。

その後、インターネットの普及に伴って航空券販売のあり方が現在のように劇的に変わったのは皆さんご存じのとりです。

「お客様の笑顔や感謝が日々の喜び」ANA事務職の仕事

━━仕事のやりがいを教えてください。

エアラインの仕事は、安全に航空機を運航し、良いサービスを提供することが基本ですが、その中でお客様から「ありがとう」と感謝されることは日々の励みになっていますし、お客様の笑顔を見ると私たち自身もハッピーな気持ちになれます。

また、ANAのプレゼンスやマーケットシェア向上も大きなミッションで、マレーシアでANAを知ってもらうためのプロモーション活動を通じて実際にANAの認知度が高まり、旅客数や市場シェアが向上した場合はやりがいを感じます。

マレーシアでANAの代表として、他の会社や関連機関の方々とともに共同プロモーションを実施したりマレーシアと日本の交流を広げる活動に関わる機会もあり、営業面だけではなく社会貢献にも関わることができとても充実した日々を送っています。

━━今までの業務で、大変だったことは何ですか?

たくさんあります。(笑)

最近ですと、やはりコロナの期間は常にチャレンジの連続でした。マレーシアに来る前は大阪に赴任しており、梅田や心斎橋など観光名所は外国人観光客で賑わっていましたが、コロナによって状況は一変しました。空港は閑散とし、観光業は大打撃を受けました。航空需要は激減し、クアラルンプールと日本の間の便数も大幅に減少することを余儀なくされ、コロナ前は週14便を運航していたところ週3便にまで減っていました。クアラルンプールに着任後の2022年後半にようやくコロナの終息が見えてきて、その段階での最初のミッションは便数を元に戻すことでした。約1年半かけて段階的に復便し、昨年の9月にやっと週14便にまで復活させることができました。

また、コロナ禍においては、お客様に安心して旅行していただける環境を整備することも大事なミッションでした。日本政府が入国時に様々な制限を設けていた中で、現地のワクチン接種業者と事前手続きや陰性証明書の取得をスムーズに行えるよう提携し、お客様の負担をなるべく減らすようなサービスを提供するなど、厳しい状況の中でもいかに安心してご利用いただけるかを常に考えていました。

地域や国の発展に寄与する、航空業界における国際ビジネス

━━航空便の開設はどのようなプロセスによって決定されるのですか?

航空便の開設には非常に専門的なプロセスが必要です。まず、国際的な航空協定が必要で、日本と就航先の国の航空当局との間で交渉が行われます。まずは双方で週に何便、どの空港から運航するかなどを決定し、この交渉がまとまると、次は実務的な調整に入ります。

具体的には、どの曜日や時間帯に就航させるかを決め、さらに空港発着枠等を取得する必要があります。国際的な航空ネットワークは両国間の関係や歴史とも密接に関連しており、良好な関係を築いている国同士では交渉がスムーズに進む一方で、そうではない国とは安全上の問題もあり路線開設は難しくなります。

国際的な平和と安定は経済発展の基本的条件でもあり、私たちエアライン業界にとってもビジネス上の重要なファクターです。これまで世界で大きな事件やパンデミックが起こるたびに、航空業界も大きな影響を受けてきました。

━━クアラルンプール支店に赴任されてから、特に力を入れている活動はありますか?

日系社会だけでなくローカルとのネットワーク構築にも力を入れています。特に、マレーシア政府機関や地元企業との関係を強化し、ANAの利用拡大に向けた各種連携や施策推進を進めています。

また、日本の地方都市やマレーシアの魅力を発掘し、それを当社が持っている媒体等で広く宣伝することで、より多くの人々にその素晴らしさを知ってもらい、より多くの人に現地を訪問していただき双方の理解促進や絆の強化につなげていくことも大事な活動の一つとなっています。

その他、マレーシアでは、東アジアの発展モデルを参考に経済成長を図るために約40年前にスタートした、日本への留学を促進する政府プログラム「ルックイースト政策」等で日本で学んだ留学経験者の方々がOB組織を結成しており、留学フェアの開催や奨学金の提供など日本への留学を支援する活動や日本文化の紹介イベント(盆踊り大会や駅伝の開催など)などを行っています。

こうした取り組みへの参画や支援は、通常のビジネスの枠を超えた社会的責務とも言えるもので、それらを通じて就航国や地域の発展に寄与することも当地に滞在する私たちの大切な使命だと考えています。

━━2006年から2010年にかけて、北京の中国統括室にて勤務されたとのことですが、そこでの印象深かった出来事は何でしたか?

2008年の北京オリンピック前後の駐在経験は非常に印象深かったですね。2006年に赴任した際、北京首都空港の新ターミナルの建設が進行中で、オリンピックに間に合うかどうかが大きな課題でした。スケジュールがなかなか決まらず、工事が遅れ、様々なルールが直前に発表されるなど、至難の連続でした。

当時日本政府が進めていた「アジアゲートウェイ構想」に則り海外渡航の需要に応えるため、羽田の国際化が進められており、北京首都空港および上海の虹橋空港と羽田空港を結ぶ路線の開設が検討されましたが、中国側との実務的調整には多くの困難がありました。航空当局の許可を得るためのプロセスは円滑に進まず就航直前まで予断を許さない状況もありましたが、最終的に運航が実現した時の安堵感は非常に大きかったです。都心に近い羽田との路線が開設されたことは、両国間の交流拡大への大きな一歩でした。

余談ですが、同じ時期に日中の友好関係を象徴する「パンダジェット」を就航させることになりました。この特別塗装機のデザインが出来上がった際、パンダの基本的な色である白と黒は、縁起の悪い色であることをパンダの中国人スタッフから指摘され、デザインを再調整する必要が生じました。中国ではおめでたい時には赤や金といった派手な色が好まれます。最終的には、パンダの特徴を保ちながらも、コーポレートカラーの青やピンクを加えることで、中国の方にも受け入れてもらえるようなデザインに仕上げることができました。

このような細やかな配慮が、国際的なビジネスにおいては常に必要であり、相手国の文化を正しく理解することが成功の鍵となります。中国での経験を通じて、国際的なビジネスの難しさや文化の違いを改めて理解することができました。

移動の場を超えて「出会いの創造」を目指す、ANAのこれから

━━今後の展望を教えてください。
安全で安心なサービスを提供することはもちろんですが、国と国、人と人との絆を深める「架け橋」となるような活動を重視していきたいですね。

具体的には、マレーシアの方にもっと日本に興味を持ってもらい、実際に訪れてもらうためのきっかけを創り続けていくことです。例えば、日本語コンテストに協賛して優勝者に日本へ訪れてもらい理解交流を深めていただく支援をしたり、最近ではマレーシアのご当地ドラマの制作をオフィシャルサポートエアラインとして支援したこともありました。

このドラマは佐賀県を舞台にしたもので、広く佐賀の観光や食の魅力を広く知ってもらい、現地を訪れてもらうきっかけになるよう、旅行会社等とも提携してマーケティングを展開しました。映像・エンタメ関連コンテンツとしての採用はロケ地の観光需要に大きな影響を及ぼし、過去にも多くの成功例があります。今後も日本の自治体と連携し、地域の魅力を発信するイベントや仕掛けをさらに増やしていくことを考えています。相互交流が増え相互理解が深まることは両国の関係がより良くなるための重要なステップだと思います。

また、訪日インバウンドに関しては、日本政府観光局(JNTO)等とも連携して各種プロモーション活動を行っていますが、国の関連機関や他の日系企業と横連携し、「チームジャパン」として観光だけでなく食やサブカルチャーなども含めてより効果的に日本全体をPRしてく方法についてはまだ多くの工夫の余地があると感じており、今後もそうした連携強化を進めていきたいですね。

━━慶應生にメッセージをお願いします。

ぜひ、世界に飛び立ち、世界を五感で感じてみてください。

例えば、マレーシアは多様な宗教や文化が共存しつつも平和な国として知られています。なぜこの国がそんなに平和に成り立っているのか、実際に訪れて学ぶことはとても価値のある経験になると思います。

マレーシアは観光地としてだけなく、移住や留学でも人気の国です。最近の円高の影響もあり、欧米の大学に入学するのはかなりの費用がかかりますが、マレーシア留学はその点で非常にコストパフォーマンスが良いです。物価が安く、治安も良い上に、英語が通じる環境が整っています。さらに、イギリスやオーストラリア系の大学も多く、質の高い教育を受けることができます。

現在、マレーシアには約3千人の日本人留学生がいると聞いています。もし、留学や短期・長期の滞在に興味がある方は、ぜひマレーシアを選択肢に入れてみてはいかがでしょうか。

私自身、エアラインの社員として、飛行機を安全に運航してお客様や貨物をお運びすることを大前提としつつ、社会や人々に対してどのような付加価値を提供できるのかを追求することが大切だと考えています。ANAでは以前、「出会いの創造」というキャッチフレーズを掲げており、私自身もこの言葉に深く共感しました。空港は新たな出会いや冒険の始まりの場でもあります。

すばらしい「出会いの創造」にどう貢献していけるか、そこに至るストーリーをいかに作り、どのように関わっていけるかが、エアラインとしての本質的な意義だと私は思っており、それを実現するために何ができるのかを常に考え続けています。

どんな仕事でもそうですが、与えられた仕事をこなすだけでは面白くもなく、やりがいにも繋がらないと思います。大切なのは、その仕事を通じて何を実現したいのか、自分がやりたいことが会社の方向性とも合致し社会や他の人にも役立つ仕事であれば、それは真にやりがいのあるすばらしいことです。

皆さんには、学生のうちにいろんな経験を通じて自分のやりたいことを見つけてほしいと思います。社会人になってから新たにやりたいことが見つかることもあるでしょうし、それもまた新たなチャレンジの機会です。人生は常に勉強であり、人から学び、自分も成長していくことの繰り返しです。ぜひ、広く世界を見据え、自己実現をかなえて充実した人生を送ってください。

 

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