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カンボジアでサッカープロリーグを立ち上げた慶應OB、その背景と立ち上げの裏側とは?

国内外で活躍する慶應義塾大学OG・OB(三田会)のキャリアストーリーや視点をインタビュー形式で紹介し、現役生に向けて発信する取材企画 ”focus.”

#01:斎藤聡さん

1997年 慶應義塾大学法学部政治学科卒業後、伊藤忠商事に入社。スペインESADEビジネススクール修了(MBA取得)。FCバルセロナのアジア人初のスタッフとして同クラブの国際化に尽力し、帰国後は日本サッカー協会にて、日本代表戦の競技運営やマーケティング業務を担当。
アジアサッカー連盟、国際サッカー連盟に出向し、アジア諸国のプロリーグ化やFIFAワールドカップのマーケティング業務にも携わる。並行してFIFAコンサルタントとして、タイ、インドネシア、カンボジア等のサッカービジネス発展に寄与。2017年米GMRマーケティング日本支社代表を勤めた後、2020年HMRコンサルティングを設立し代表取締役に就任、現職に至る。

「東南アジア大会で優勝を」本田圭佑と共に進めたカンボジアプロジェクト

━━伊藤忠商事で2年勤めた後、日本サッカー協会へと転職した斎藤さん。そのきっかけは何でしたか?

商社マンになりたいと思って入ったんですけど、それ以上に自分がやりたいことは何だろうと考え始めて…慶應ニューヨーク校、大学とずっとソッカー部だったので好きなサッカーに関してだったり、社会を変えられるインパクトのある仕事をしたいなと思うようになりました。

じゃあ何の仕事をしたらいいのか、すぐにたどり着けなかったのでまずは経営学を学ぼうということでMBA、大学院に行きました。

━━その後、カンボジアでサッカープロリーグを立ち上げた斎藤さん。その立ち上げにはどのような経緯がありましたか?

カンボジアには内戦や虐殺などの悲しい歴史の影響で、アジアの中でもタイとかベトナムに比べて社会経済で出遅れた部分があるんですけど、サッカーも同じで、ベトナムやタイはプロリーグができてどんどん強くなってる反面、カンボジアだけすごく取り残されていて。やっぱりプロリーグがある国は代表チームが強くなるんですよね。日本もその例外ではなく、Jリーグを川淵三郎さんが立ち上げてから強豪国に勝ったりと、日本代表も強くなりましたよね。

”東南アジア選手権で優勝したい”っていうカンボジアプロジェクトがずっと走っていて、そのサポートをする立場としてもう10年くらい前から3ヶ月に1回カンボジアに通ってたんですけど、上の方からどうしたらいいんだっていうようなご相談を受けた時に「やっぱりプロリーグを立ち上げることですよ、日本もそれをやったことによって強くなりましたよ」というのをずっと言ってきてたんです。

そのプロジェクトの一環で、本田圭佑さんが去年までカンボジア代表監督をやっていたのもあったので、ご本人に相談して「ただ単にプロリーグを立ち上げるというよりは代表をどうやって強くするか」を考えながら一緒にやりましょう、ということでプロジェクトを進めてきました。

「この国は変われる」プロリーグ化で変わり始めた、カンボジアの空気感

━━実際にプロリーグ化して、カンボジアの方たちの反応はどうでしたか?

今まで多くの人が「カンボジアでプロサッカーなんてやるわけない」と思っていたのが、制度を変えて、リブランディングして、クラブに対して給料を上げてもらうような仕組みも作ると、選手もモチベーションが高くなるしファンの人も来て「この空間っていいね」とか思ってくれるようになるんです。

すると、皆が自然に「これだけ短期間で変われるんだったら、もしかするとこの国のサッカーは強くなれるんじゃないか」という空気感になって。それはすごく大きかったんじゃないかなと思います。

━━カンボジアリーグ立ち上げにあたって、大変だったことは何ですか?

外国人であることをあえて前に出して、ローカルのルールをかなり無視して改革をしないといけなかったのが結構難しかったですね。

新しいリーグを作ったり、プロ化するとなると、昔からのしきたりや出来上がったものは、どんなに大きい国でも小さい国でも結局あるんですよね。だから、その国ならではの情勢、利権だったりとか色々と垣間見えるものを全部ぶった切って「プロとはこういうものです」「〇〇しないと強くなれません」というようなことを全部リスト化して、それを一つ一つ話して、ここに投資しないといけない、とひたすら説得していました。

カンボジアにも元々サッカー協会はあったんですが、別で会社を立ち上げてリーグを作ったのでそこがかなり大変でしたね。今までのサッカー協会の下、運営されていたアマチュアリーグを分けてプロ化したということです。

━━具体的に、どのような課題があり、そこに対しての変革が必要でしたか?

ソフト面でいうと、人材がいないことですね。プロ化するにあたって、カンボジアの中で経営してマネージメントできる人ってすごい少ないんですよね。その人材を育てないといけないのが課題で、どの国も支援するって言ってもあんまりやっていなくて。

例えば、中国がこれだけハードな投資をカンボジアにしていて、今もう投資額が日本の10倍ぐらいなんですよね。日本がとにかくハードな投資をして、何かインフラ作るのも叶わない中、日本ができることって「ソフトな支援で人材を育てること」で。

日本のプレゼンスを上げるためにもカンボジア人の心に残るような、日本人のソフトな経営部分だったり、最後まで諦めないでやり切るところ、あとは会計やマーケティングの知識を育てることで、数年経って「日本人のおかげでこれだけ強くなったんだ」と思ってもらえるんじゃないかと思っています。

ただ人材を採用するだけじゃなくて、その後の教育プログラムも日系企業の経営者の方にアドバイスをいただきながら作ったり…そういった人材を育てるっていうのは結構ソフトな支援になりますね。

━━ハード面に関してはどうでしたか?

ハードな支援で言うと、サッカーの芝ですね。いい芝でプレーすることって結構大事で、いい芝だとボールが転がるんです。いい芝じゃないとボールコントロールも難しいし、やっぱり上手くならない。いかにいい芝を作るかというところで、日本の国立競技場の芝管理をしていて「伝説の芝達人」と呼ばれている池田省治さんにカンボジアへ何回も来ていただいて、カンボジアの皆さんにもアドバイスをしていただいて。もう今すごいいい芝が作れるようになっているんですよね。

あと、サッカーって90分間試合の中でどれだけハードな戦いをするかでチームが強くなるという「インテンシティ」が大事なんですけど、カンボジアは暑いので、昼間に試合しても暑い中では誰も走らないんですよね。そうすると全然上手くならないので、とにかく試合時間をナイター(夜間試合)にする必要があるんです。ナイターにするためには、夜間照明の設備をつけなきゃいけないので、「全部のスタジアムに照明システムを必ず付ける」っていうルールを無理やり作って、とにかく照明設備を増やしました。

全てのクラブが全部完璧にできたわけじゃないけど、ある程度設備が整って、実際にリーグが開幕し、試合が行われたのは2022年3月でした。

2023年11月に、国際試合でそのカンボジアのクラブがオーストラリアのマッカーサーFCというめちゃめちゃ強いクラブと戦って、そこに3-0で勝ったんです。その試合を見て、さすがに涙が出ましたね。

外交、歴史、政治…完全なる意味での異文化理解とは何か?

━━海外の人と共に仕事をする上で、大切なことは何ですか?

一応言語は通じるとは言え、それぞれの国の国民性を考慮したり国の風習を守りながら一緒に仕事していくというのは大事ですよね。文化とか歴史とかも、その国の人々の根本的な部分に関わっていて、カンボジアで言うと、昔アンコール王国が東南アジアを治めていたという歴史がカンボジア人としてのプライドになり、自分の中にそのDNAがあるんだという熱い思いになるんです。

サッカーで言うと、他の東南アジアの国々に追いつこうっていう時に、その自分たちのプライドとして「絶対にやれないわけはないんだ」と思うようになる。

三上正裕さんという、前カンボジア日本大使の方が「サッカーとかスポーツとかってもはや外交と一緒だから国を背負って話す言葉なんですよ」と。だから、そういう意味ではサッカーの仕事をしながらも外交、歴史、政治…その国の今の現状を知るだけというよりかは背景、どういう成り立ちで今があるのかというのを深く知らないと、完全なる意味で今を理解できないと思うんです。

きちんと知ってそこに一定理解を示しつつ、プラスに変えなきゃいけない時には外国人らしく振る舞って、しかも相手がどんなに国の偉い人でも「日本はこうしている。カンボジアでもできないわけはないです」「いやこれやらないと進めませんよ」とか平気で言えるくらい、強く前に出ないと絶対変わらないです。本当は結構怖いんですけどね(笑)

「大学時代はとにかく冒険を」就職後にも生き続ける、大学での過ごし方

━━慶應での大学時代が、今のキャリアに与えた影響は大きいですか?

そうですね、ソッカー部に4年間いてすごい悔しい思いをしたんですよね。ニューヨーク校の高校時代は一番自分が上手いと思っていたけど、大学ソッカー部に入ったら一番下手くそでもう全然試合にも出れないし…でも4年間続けて、諦めずに何があっても絶対最後までやるって決めてやったんです。

困難があっても簡単に挫折しないとか、自分の中で芯を通せる人間で、何が起こっても自分は大丈夫だと言い切れるだけの自信を身に付けられたことは大きな財産ですし、学生生活で得たものが今も生きている部分は多いです。

あとは、一生付き合っていきたい仲間ができたことですね。

20歳の時に「俺たちはこれからどんどん外に出てこうよ、絶対夢を叶えてサッカーの仕事やろうよ」って一緒に夢を語ってた大学の先輩がいるんですけど、その人も同じサッカー業界で今はシンガポールに移って仕事をしていて…自分が一番悩んでいた時に一緒にいてくれた人って、未だに付き合いがあるんです。その点でいうと、今も卒業生同士のネットワークや繋がりみたいなものを感じます。

━━大学時代をどう過ごすか、現役生へのアドバイスはありますか?

旅をしてほしいと思いますね。世界を一周するとかそういう話ではなくて「冒険」というか、自分がワクワクすることや興味あるものに向かって行くということ。それができる時期ってすごく限られてるから、自分が興味あることって何だろうって考えて、そこに向かってみることは意識的にやっていいと思うんですよね。その冒険っていうのが、日本から外へ出てとか海外回ったりとかも、その一つなんですよ。

私は大学ソッカー部時代に気付いたサッカーの素晴らしさと、それをずっと続けたい思いがあったので、それに関わる仕事がしたいなとか、あとはそこと海外を繋げる仕事ができたらいいなと思ってたのはありますよね。

やっぱりそこに興味があって、自分は熱量持って続けられるっていう自信があるからカンボジアプロジェクトのような話も来るんでしょうし、自分からも積極的に向かって行けるってことだと思うんですよね。

大学生は時間がいっぱいあると思うので、色んな方向に目を向けてワクワクするものを見つけて、そこに向かっていく時間があるといいと思います。学生の時のものがずっと続くとは限らないけど、それぞれのライフステージにおいて、その時々で感じたことに考えを深めていればその先の人生もきっと楽しいし、幸せなんじゃないかと思いますね。