国内外で活躍する慶應義塾大学OG・OB(三田会)のキャリアストーリーや視点をインタビュー形式で紹介し、現役生に向けて発信する取材企画 ”focus.”
#04:垣下義雄さん
1984年、法学部政治学科卒。
NEC(日本電気)に入社後、海外事業部に配属。国際通信における地上局、伝送装置、及び交換機の設計・販売に従事し、地上と衛星間の通信インフラを構築するための入札プロセスを通じて、海外市場への展開を推進。マレーシア・ドイツ・アメリカ・オーストラリアなど、15年以上海外にて勤務。定年退職し、現在は公益財団法人結核予防会カンボジア健診センターに赴任。同センターの運営にあたる。
大学2年の春に、バイトで貯めたお金でヨーロッパ一周。グローバルキャリアの原体験に
━━卒業後、NECに就職した垣下さん。入社そして海外事業部で働くことになったきっかけは何ですか?
高校生の時から漠然とした海外への憧れを持っていたんですよね。とにかく一度世界を見てみたいと思って、大学2年の春にバイトしたお金を貯めて1ヶ月間でヨーロッパ1周したことがあって。その時、「日本の外にはこんなに色々な世界があるんだ」っていうのを自分の目で見て心に焼き付いた経験が自分の原体験になりました。
それで就職する時に、やっぱり日本ではなくて世界、そしてただ世界で働くっていうよりも世界で社会に貢献できる仕事ができればいいなと思っていたんです。今NECはだいぶ業態が変わってしまったんですけれども、昔は本当にものを作って売ってる会社だったんです。特に、当時はC&Cと言ってコンピューターとコミュニケーション、いわゆる通信機器のビジネスを手掛けていて、当時は電話をかけるための通信機器を世界中に売っていたんですね。それを見て、私も世界で働けるし、世界で貢献できるなと思ってNECに入ったんです。
そこから、海外事業に携わりたいと言ったら海外グループに配属されて。非常にラッキーでしたね。
パソコンがない時代の海外駐在、大変ながらも達成感はあった
(写真:シンガポールの$1紙幣。3代目のシンガポールの衛星地上局は、垣下さんが入社して初めて担当した大きなプロジェクトだった。)
━━海外事業部での仕事内容は何でしたか?
海外グループに入った時、通信機器を海外に売る部署に入りました。
地上とサテライト衛星を繋いで国際通信するための衛星地上局や伝送装置、交換機を、入札ベースで海外に売り込む仕事をしていたんです。その国の政府機関が「こういうものを買い付けたい」と発表して、そこで要求される技術資料や価格資料を提出するのですが、当時は大変でした(笑)
例えば、期日までに5センチのファイルを5冊分仕上げなきゃいけないとなると、価格表を作ったりそれを印刷したりする必要があるのですが、まだパソコンがなかったので電卓を叩いて価格表を作って検算をして、それをまたタイプライターに回して印刷して…最後の1週間はほぼタクシーで帰って、徹夜に近い生活を送っていました。
でもやっぱり、大きな仕事をしている満足感と達成感があったので、頑張ってやっていましたね。億単位の入札になるので、それが受注できた時は非常に嬉しかったし、受注した後も実際その国の工事現場に行ったりと「自分の仕事がこういう形でこの国で実現され、この国に貢献できるんだな」という喜びが非常にありました。
━━駐在先が変わることによる、仕事内容の違いはありましたか?
最初の駐在先であるマレーシアでは、通信機器を売り込んでお客さんとの関係を築くという営業の仕事をしていましたが、別の国に行くとだんだん自分の経験やポジションが上がってきて、営業からマネジメントへと移っていきました。
なので、NECの現地法人のある部門のマネジメントをする様になってそこの部隊の人と協力したりと、その部隊を指揮するようになりました。
グローバルに活躍する上で重要なのは「人間性」、15年以上の海外駐在で気付いたこと
━━社会情勢や経済状況を踏まえてそれぞれの国で働き方を変えたりと、マネジメント以外の難しさはありましたか?
国が違うとそれぞれの人のバックグラウンドが違うので、お互いに理解し合うのが日本よりも大変だったのは事実だと思います。だけどやはり、相手に対して自分を認めてもらい、存在感を認めてもらえるような形で色々な話をしていると、お客さんやスタッフに話は通じるようになるし、お互いの一つの目的に向かって信頼関係ができてきて、大きなチームとして頑張れるようになりました。
あと最後には、その人の「人間性」が相手に響くと思っていました。この人ちょっと…と思うと、そういう評判はどこでも同じものだったし、誠実な人は誠実さを受け入れてもらえる。色んなことがあっても、最終的には「人間性」が非常に重要だなとずっと思っていました。
仕事をする上でもそうでなくても、自分の「人間性」を鍛えることが最も重要だと今なお思っています。
━━将来海外で働きたい慶應生も多いと思いますが、グローバルに活躍するために重要なのはやはり「人間性」でしょうか?
そうですね。学生さんの場合、本当に今いろんなことをされていると思いますが、その中でも『自分を磨いてください』というメッセージを送りたいと思います。自分を磨く中で、何か掴むものがあると思いますが、それを自分の言葉で(できれば英語で)相手にぶつける・示すことが大切かと。あまり背伸びをしなくても、とにかく自分が今していることを頑張って、その中でいろんな経験を積んでください。
ただ、そこに留まらずにそこで何か掴んだら次のことを頑張ってみる形で『経験』と『人間性』を積んでいくと、最終的には海外に出ても「私はこういう人間なんです」「こういう興味があるんです」という話ができるようになるし、それは相手にも伝わります。
━━垣下さんの今があるのは、慶應での大学時代にその実践があったからでしょうか?
それほどかっこいいもんじゃないですけれども(笑)
大学2年の時、自分で旅行してみて「英語が通じないんだな」ということを身をもって感じて、話をするためにはきちんとした知識や答えを身につけなきゃいけないなと感じました。
今は通訳を介したり、自動翻訳もあると思いますが、拙い形でも自分の言葉で思いを伝える・自分の肉声で語ることはとても大切で、だからこそ何か相手に響くのだと思います。
NECを定年退職後、カンボジアで健診センターの運営。培った経験を生かして新たな挑戦へ
━━NECを退職し、現在は公益財団法人結核予防会カンボジア健診センターの運営にあたっているとのことですが、どのような経緯がありましたか?
会社は役職定年になった57歳の時に退職しました。
今までを振り返って、海外でのマネジメントの経験があったので、そこで培ったものを生かす仕事をしたいなという気持ちが非常に強かったんですよ。しかし定年になると、(NECでの)そういう機会がなかったので、だったら外に目を向けてみようかということで NEC以外のところに転職することを考えたんです。
最初転職したところは国際医療福祉大学で、そこでは学生を海外に派遣したり留学生を受け入れたりといった国際プログラムを積極的に行っていたのですが、コロナ禍となり、それらの国際プログラムが全部ストップしてしまいました。コロナ禍の間は病院に行って仕事を手伝っていました。そうしていると、たまたま公益財団法人結核予防会から「カンボジア健診センターで健康診断サービスを提供する部門の責任者を募集している」という話をいただき、そこの募集要件が海外でのマネジメント経験+英語ができるということだったので、これだったら私がやりたいことだなと思って応募をしたら、幸い採用いただいてカンボジアに来ました。
━━同じマネージメントでもNECから医療系という、扱う仕事の違いによる難しさはありますか?
マネージメントとなると、やはり大きな難しさがあり、なかなか思うように組織が動かない・結果が出ないというのは常にあることです。
私が健診センターに来て、最初(センターの)皆さんと話をしたのですが、「組織としてこういうことがやりたい」「これを目指して頑張ろう」といった目標を共有できていないと感じたので、センターのビジョンを作るプロジェクトを立ち上げました。(センターを)どうしたいのか?カンボジアの社会をどうしたいのか?を皆で議論してそこからキーワードを拾い、このセンターのビジョンという形にしたんですね。
「カンボジアで健康診断」と言ったらこのセンターという存在になると同時に、カンボジアの人の健康を増進させる活動をする。健康診断以外にも健康に関するセミナーなどを行うことで、カンボジアの人の医療知識を広げ、健康意識を高めるという所謂「ヘルスエデュケーション」をビジョンにしようと。
すると、組織が一つに向かって動き出して。やはりこういうのは嬉しいですね。
━━今後の目標は、そのビジョンの実現ということになりますか。
多分、それは私がここにいる間には難しいと思うんですよ。任期があるので、あと1年か2年のうちにそれが完全に実現されるっていうのは厳しいです。だけどビジョンという形で残して、皆の思いが一つになって、人が変わってもその思いが踏襲されていって…
私が死ぬ頃にそれが実現されたっていうニュースを聞くことができたら、まあいい一生だったなと思っています。 だから自分が全てやるっていうよりも、カンボジア現地の人たちの気持ちをまとめて、それが自分がいけなくなってもその気持ちが代々継承されていく形に持っていきたいです。夢物語かもしれないけど、本当にいつかできるんじゃないかなという思いで今後も頑張っていきます。